私達を伝えたい
入社、10年を越えました
この会社、辞めようかな
私は長崎県佐世保市の出身で、高校卒業後に上京し、この会社に入社して10年以上が経ちました。
入社当初は、いきなりベトナム人社員12名と同じ社員寮に入ることになり、「正直、この会社を辞めようかな」と何度も思ったことを覚えています。
しかも、当時の社長(佐世保工業高校・土木科の大先輩で更に同じラグビー部出身)は、今以上に熱くて厳しかったこともあり、「本当に続けられるのか?」と不安でした。
仕事に加えて、なぜかマラソンまで走らされる日々……その時も、「正直、辞めようかな」と思いました。
そんな私も、入社3年目には初めて現場を任され、四苦八苦しながらも何とか形にしてきました。
(まぁ、今でも大して変わっていないと言われたりしますが……)
家族ができた
今では結婚して4年。子供も2人に恵まれ、家まで購入しました。
振り返れば、仕事以外のことはすべて妻が考え、決めて、どんどん進んできたような気がします。
私はいつも一歩遅れて、のんびりしていた気がします。
10年を越えて
社会人生活も10年を越え、資格もひと通り取得して、ようやく「自称・一人前」と言えるくらいになりました。
また、これまで、自分らしくやってこれたことに感謝しています。
新卒で入社した私は、他社のことは分かりませんが、この会社はとても「内容が濃い」と感じています。
なぜなら、現場も業務も、すべて自社の社員で運営しているからです。だからこそ、「やろうと思えば何でもできる会社」だと思います。
あくまで【思えば】ですが・・・
もちろん、すべてを経験したわけではありませんが、前向きな人にとっては最高の環境だと感じます。
私たちの時代
昨年、社長も還暦を迎えました。私たち若手がもっと成長し
社長に安心して引退してもらえるような会社にしていきたい——そう強く思っています。
可能性を見つけよう
異文化の中で
来日して4年目になります。妻と私は3年前、ほぼ同じ時期に日本へ来ました。妻の勤務先は長野でしたが、異なる文化の国・日本での生活を通して
私たちは人生観が大きく変わったように感じています。
人生の宝物
入社してからは、仕事はもちろんのこと、写真部や陸上部の活動などを通して多くの貴重な経験を得ました。
特に、あの「東京マラソン」を完走できたことは、一言では言い表せないほどの大切な思い出です。
写真部では最新のカメラを使い、日本各地の美しい風景を撮影しています。この会社には、働くだけでは得られない“かけがえのない体験”があります。
現在、日本では多くのベトナム人が働いていますが、私はこの会社で働けていることを本当に幸運だと感じています。
技能実習の3年間を終え、今は特定技能として働いていますが、技術だけでなく、人生で大切なことをたくさん学ばせてもらいました。
新しい家族
そして今年の8月、待望の第一子が誕生しました。
家族と離れて暮らすのは淋しいですが、これからも情熱を持って行動し、仲間たちとの絆を大切にしながら自分の人生の宝物を増やしていきたいと思います。
未来への道は自分で切り開け
出会いと偶然が導いた「今」
私は秋田県出身で高校時代はバスケットボールの強豪校「能代工業」で青春を燃焼させていました。
高校卒業後はバスケットボールの推薦で大学に進学しましたが、思うような成果は得られず、卒業後の進路も明確ではないまま
南国・沖縄で数年間、配管工として働いていました。
そんなある日、観光で沖縄を訪れていた小学校時代の同級生、現在の妻と偶然に再会。その出会いをきっかけに、彼女の暮らすこの地に移り住み、たまたま見つけた会社に就職しました。
何か夢や目標があって選んだわけではなく、「彼女がここにいたから」が入社の動機でした。
マラソンがくれたスタートライン
入社して最初に全力を注いだのが「かすみがうらマラソン」でした。
自ら出場を宣言し、陸上部の歴代最速記録となる【4時間0分59秒】でゴール。
その瞬間が、ここでの私の“スタートライン”となりました。
若者たちへ、「可能性を見つける場所」でありたい
現在は「山と川陸上部」の部長として、陸上や登山といった活動に情熱を注いでいます。
また、仕事の面でも今年から現場の責任者を任され、日々やりがいを感じながら取り組んでいます。
この職場は、ただ働く場ではなく、若い人たちが「自分の可能性」を見つけるための場所だと私は思います。
情熱を持って取り組めば、きっと未来は開けていきます。
私自身もここで、そんな未来を見つけ続けたいと思っています。
